沖縄の「本土復帰」―1972年5月15日の呼び方をめぐって―

1972年5月15日、沖縄返還協定が発効され、沖縄の施政権がアメリカから日本に返還された。
2022年は、沖縄が日本に復帰してから50年目の節目の年である。

この日を何と呼べばいいのか?

  • 本土復帰
  • 日本復帰
  • 沖縄復帰
  • 沖縄返還

本土の人々は、自分たちの目線からできごとを捉えて「本土復帰」と言う人が多いように思う。
「本土」という表現に含まれる、本質主義的なニュアンスを好まない人は、よりフラットな「日本復帰」という表現を選ぶだろうか。
逆に沖縄県民なら、同じく自分たちの目線から「沖縄復帰」という表現を好むかもしれない。

ちなみに、沖縄県公文書館の展示会記録では「日本復帰」という表現を使っていた。

「日本復帰への道」(沖縄県公文書館)
https://www.archives.pref.okinawa.jp/event_information/past_exhibitions/934

当時は「祖国復帰」と呼ばれていた。
沖縄にとって日本は「祖国」なのか、という問題は、今もくすぶっている。

祖国復帰大行進団
(1965年4月27日)
平和を祈る青少年南日本大会
那覇 政府前から国際通り
(1965年11月)
日本政府主催沖縄復帰記念式典
那覇市民会館
式辞を述べる屋良朝苗知事
(1972年5月15日)

いずれにせよ、沖縄の日本復帰という史実について、県外の人々は単純に「良かったこと」「喜ばしいこと」と受け止めている節があるが、当時の沖縄にとって、それは必ずしも手放しで喜べることではなかったことだけはおさえておきたい。
沖縄が望んだのは「即時・無条件・全面返還」だったからである。

「沖縄復帰47年 県民の要求は「核抜き、本土並み」ではなかった…」(琉球新報 2019年5月15日)
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-918218.html

私はといえば、もちろん場面状況によりますが、復帰をめぐる人々のさまざまな想いとは切り離された、別の次元で行われたできごと、または国家間の交渉の結果としての「沖縄の施政権返還」や「沖縄返還」、または単に「復帰」という表現を使うことが多いです。

沖縄は日本とアメリカの間でやりとりされる「モノ」なのか?という疑問も込めて。

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