舞台『hana-1970、コザが燃えた日-』感想①

栗山民也演出・畑澤聖悟作の舞台『hana-1970、コザが燃えた日-』(@東京芸術劇場)を観てきました。

いろんな意味で「丁寧さ」を感じる舞台でした。
そもそも「コザ暴動」ではなく「コザ騒動」という表現を使っている時点で、すでにその期待はあったのですが。

まず畑澤聖悟氏の脚本が、本当に素晴らしかったです。
沖縄戦のことも、コザ騒動に至るまでのできごとも、ぎゅっとまとめて、1時間40分の「一夜の物語」に仕上げてありました。

コザ騒動とは、1970年12月20日未明に、嘉手納基地を抱えるコザの街で起こった事件です。
米兵が起こした交通事故をきっかけに、沖縄の群衆が米軍関係の車両を焼き払いました。

さらに、その「ぎゅっとまとめて」で扱われるトピックのチョイスが秀逸でした。
例えば、コザ騒動の引き金となった糸満轢殺事件だけではなく、1968年のB52爆撃機の爆発炎上事故や、1969年の毒ガス漏洩事故を踏まえたうえで、1970年のコザのできごとを描いているところとか。

1968年11月19日 嘉手納基地でB52大爆発事故
「あの日の沖縄」(沖縄県公文書館)

1969年-空にB52、海に原潜、陸に毒ガス
「毒ガス兵器撤去のたたかい 1969-1971」(沖縄県公文書館)

おかあアキオが生まれた集落は、今は嘉手納基地の中にあるのですが、米軍に接収されたのかと問う本土のルポライター鈴木に、そもそも日本軍に接収されたのだと語るところとか。
嘉手納ですから、日本陸軍中飛行場のことですね。

おかあのヒモという設定のジラースーの数奇な人生にも、沖縄の複雑な歴史がこれでもかと埋め込まれています。

現在、台本の冒頭部分が公開されているのですが、おかあとアキオの生まれは野里になっていました。
ジラースーは横浜の鶴見区の出身。

こうした設定は、舞台上では紹介されていなかった(はず)ですが、このことひとつとっても、史実に基づき、緻密に練られて書かれた脚本であることがうかがい知れます。

この記事の一番下にある知念さんの証言映像は必見です。

RyCom
琉球軍司令部総司令部ビル(1954年)


「ライカム」という単語が出てきたことにもちょっと驚きました。
「ライカム」(RyCom)とは琉球米軍司令部(Ryukyu Command headquarters)のことです。

ちなみに、米軍専用のゴルフ場だった「泡瀬ゴルフ場」の返還跡地に建てられたのが、イオンモール沖縄ライカムです。

個人的に思うところが多かったのは、ベトナム帰りの脱走兵ミケを登場させたことです。
本土の人が目にする沖縄戦・戦後沖縄の記録ではあまり取り上げられませんが、60~70年代のコザの記憶語りには頻繁に登場します。イラク帰還兵、海外に派遣された自衛隊員などにも通じる、今日的な存在です。

戦争は、国家間での記録の上では終わっても、人々の記憶の中ではいつまでも終わることがない、といったところでしょうか。

何より、こういう重いテーマを扱う際にしばしば見受けられる、「正しい人」が「悪い人」を訴えるといった「分かりやすい正義の物語」になっていなかった点が強く印象に残りました。
直接的な言葉で、誰か/何かを糾弾するのではなく、明るさと後ろ暗さの両方を抱えた人たちが、これまでの人生についてひとり語りをする。その語りが幾重にも折り重なることで、彼らの葛藤やそのような状況に彼らを置いた社会の罪深さがありありと浮き上がってくるような、そういうメッセージの発信の仕方。

そしてこの作品は、おかあのまぶい落とし/まぶい拾いの物語、でもありました。

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