【書籍】いっこく堂(2012)『ぼくは、いつでもぼくだった。』

書誌情報

いっこく堂 
中村 景児:絵
ぼくは、いつでもぼくだった。
くもん出版,2012年

「くもんの児童文学」シリーズから出版されている一冊です。
少年の眼から見た米軍占領時代が描かれている貴重な自叙伝です。

本書の概要

内容について

本書は、腹話術師として活躍するいっこく堂が子ども向けに書き下ろした自伝的児童文学です。

いっこく堂さんは1963年生まれ。本名は「玉城一石」です。
ご本人は神奈川県で生まれたそうですが、ご両親は沖縄生まれの沖縄育ち。
いっこく少年も、幼稚園から中学一年生の途中までコザの「中の町」に住んでいたそうです。

本書の半分以上の記述は、この「中の町」で過ごした少年時代、つまり米軍占領下の時代から沖縄返還(1972年)を含む激動の時代の思い出で占められています。

本書のポイント

占領下での〈基地の街〉の生活

嘉手納基地に隣接するコザの子どもたちが、アメリカ兵や米軍基地をどのように見ていたのか、また沖縄返還をどのように受けとめていたのかが垣間見える記述は特に興味深いところです。

さらに、1970年12月20日に起こった「コザ騒動」にも触れている記述があります。
このとき、いっこく少年のお兄さんは、「いっこく!大変だ!戦争がはじまったよ!」と言ったそうです。

騒ぎを聞きつけた人たちが「戦争がはじまった」と称した記憶は、コザに住む大城貞夫さんのインタビュー記事でも登場します。

本の中では、フォークシンガーの佐渡山豊さんも登場します。

返還後の沖縄の生活

通貨がドルから円に変わったできごとをめぐる人々の混乱ぶりが、とりわけ丁寧に描かれています。

いじめにあった経験も書かれていて、そのくだりで、沖縄戦を経験したいっこく少年のお母さんから教わった「命どぅ宝」ということばも登場します。

命は宝なんだ。
その命を、自分でそまつにしてはならない。生きていれば、いつか、かならずいいことがある。
母はそういって、ぼくに、この言葉の意味を、おしえてくれました。

p. 94

そのことばを大切にしてきた結果、いっこく堂さんの今があります。
このあたりにも、歴史学習にとどまらない児童文学のならではの”良さ”が垣間見えます。

注目したい引用

コザ騒動前夜の記述が特に印象的です。

 このころは、まだ沖縄は、アメリカが支配していました。日本からみれば、沖縄の人は、日本人ではありません。それで、これまで、アメリカ軍の兵士がおこした事件で、おかしい判決がでても、日本は何もすることができませんでした。

 では、日本人でないなら、アメリカ人か、といえば、アメリカ軍の兵士たちにとって、沖縄の人は、やはり、日本人でしかなかったのです。
 沖縄の人は、自分たちが、いったい、どこの国の人間なのか、だれが味方になってくれるのか、さっぱりわかりませんでした。

 そんなことが、ずっとずっとつづいていたのです。

p. 28

米軍占領下の複雑な歴史を、子どもにも分かる言葉で説明している資料はそう多くありません。
その意味で、特に小学生向けの教材用素材としても価値の高い本だと思います。

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